スタッフ紹介
院長プロフィール
★1977年12月29日生まれ
★島根県松江市宍道町出身
★身長185㎝
★血液型A型
動物占いは「ライオン」
真面目で正直、正義感が強く妥協を許さない
負けず嫌い、完璧主義、面倒見がよくリーダー向き
◆院長略歴
・1996年3月:松江南高校 卒業
・1996年4月:九州歯科大学 入学
・2002年3月:同大学 卒業
・2002年4月:東京医科歯科大学歯周病科 入局(研修医)
・2004年4月:川崎市須貝歯科医院 勤務
・2008年9月:あま歯科クリニック 開院
◆所属学会
・松江臨床研究会会員
院長ヒストリー
◆泣き虫だった幼少期
1977年12月尼ヶ崎家の次男として生まれました。
父と母は地元の銀行に勤めており歯科とは全く関係ない職業でした。
1つ上の兄とはよく遊びましたが遊んだ数だけケンカもしました。
途中まで仲良く遊んでいてもすぐにケンカになり 必ず最後は泣かされ1度もケンカに勝った覚えはありません。
ちょっと叩かれたくらいですぐに泣き、自分でもよく泣かされる子だなぁと思っていました(笑
外出時、必ず折り紙をケースに入れ小脇に抱えるスタイルが定着し、ついたあだ名は「ハカセ」でした。
宍道町に住み始めたのは幼稚園の頃。最初は友達ができず教室の片隅でポツンといるような子どもでした。
◆部活に明け暮れた小中高時代
小学校では水泳とサッカーをやっていました。
特に水泳は約8年間続け幼稚園から週2回通い続けました。好きな泳ぎは背泳ぎ!
なぜか?
背泳ぎ以外はすべてスタート台から飛び込み毎回お腹を打って痛くてそれが嫌だったから。
そんな小さい理由からでした。中学校からは身長をいかそうとバレーボール部に入りました。
監督はとても厳しく頭は丸坊主!練習中は水分補給なし!試合に負けたらビンタ!その後は正座!かなり厳しい指導でしたが試合では連戦連敗!「厳しいけど強いチーム」ならまだしも「厳しいのに弱いチーム」という結果が出ずいつも不思議でした。
そんなチームのキャプテンを任せられ、苦悩の日々でした。
高校に入ってもバレー部に入り、バレーに明け暮れましたがこの3年間は楽しい思い出が多く残っています。
先輩や後輩とも仲良く部活終わりには近くの駄菓子屋さん(もうり商店)に行き、ワイワイしゃべりながらおやつを食べる。そんな毎日に充実感を味わっていました。
部活以外でもみんなで誰かの家に泊まったりして夜な夜な恋愛話。遠征に行く時はまるで修学旅行のようにはしゃいでました。
チームワークの良さは結果にも現れ島根県でベスト4までいきました。
◆人生が変わった大学時代
中学高校とも6年間バレーを続けていたので大学に入ったらバレーはもうやらない!と決めこんでいました。
しかし経験者ということもあり猛烈な勧誘にあいバレー部に入部していました。
大学は今までの中学高校とは違い、全てが衝撃的でした。これまでの学生時代とは年齢も異なり個性もクセが強い人が集まっています。
基本的には九州人が多く方言イントネーションも初めて聞くため何言ってるか分かりません。
お酒を水のように飲みます。
人情に厚くおせっかいな人が多いです。
常に面白いことを考えています。
上下関係が厳しいです。
いろんな人がいました。
けど「人生もう一度戻れるならいつ戻りたい?」といわれたら大学時代と即答できるくらい楽しかったです。
九州歯科大学という大学でしたが九州歯科体育大学と言われるくらい部活が盛んで体育会系バリバリの部活が多かったです。
もっとも重要な大会は全国の歯学部が集まる「オールデンタル」という夏の大会。それに向けて練習に力を入れていきます。
勝っても負けても号泣するくらいとにかく本気で取り組みました。先輩だろうが遠慮なく叱責します。それくらいみんな真剣です。
最後のオールデンタル。最後は俺のアタックを決めて優勝を決めてやると思っていました。
そして決勝戦で最後の 1本を決め優勝することができました(最後にセッターの粋な計らいでした)。
MVPももらい最高の形でバレー人生を終えることができました。何度衝突しても1つの目標に向かいそれを成し遂げるために費やした努力は裏切らないということを経験しました。
そして衝突しながら辛い練習も乗り越えた仲間たちは今でも強いつながりで大きな財産となっています。
◆歯医者の楽しさを学んだ勤務医時代
九州歯科大学を卒業し決めていたのはとにかく一番学べる環境で歯の勉強するということでした。
日本で1番学べるといえばやっぱり東京でしょ!という単純な理由で上京しました。
歯学部の中で最高峰といえばやはり東京医科歯科大学です。そこでは研修医として歯周病を2年間しっかり学びました。
とても勉強熱心な先生が多く1聞けば10答えてくれるくらい物知りで優秀な先生ばかりでした。
外国人留学生も多く日常的にあちこちで英語が話されていることにカルチャーショックを受けました
研修医が終わる頃になると一般開業医で働きたいと言う思いが強くなり毎日大学に送られてくる求人票をみては良い歯医者の求人を探しました。
かれこれ1ヵ月くらい探していたところ神奈川県の須貝歯科という有名な歯科医院の求人を見つけ、ここだ!と直感的に応募しました。
須貝歯科を選んだ理由は2つありました。
1つは院長先生がとても有名で かつ大学の先輩だったこと。
もう一つは給料が安かったこと。
え? 給料が安いから選んだ?って驚かれるかもしれません。
そうなんです給料が安いというにはワケがあるんです。
実はじっくり学ばせてくれる歯科医院というのは給料が安く設定されることが多いです。
一流のお寿司屋さんで学ぶのと一緒です。むしろ給料がいただけるだけでもありがたいと考えていましたので給料はいくらでもよかったです。
須貝歯科でまず学んだ事は地味だけど大切な基礎的技術です。
患者さんが評価する人気の歯医者というのは、一般的に技術が優れているというより優しい、愛想が良いという人柄で選んでいる歯医者です。
患者さんはその歯医者が技術的にうまいかどうかは分かりません。
歯医者同士でも実はよくわからないものです。
医療の性質上その人の病を直せなければいくら人柄が良くても医療人としては失格です。
一番悪い歯医者とは患者ウケが良いのに腕が悪い歯医者と言われています。
須貝歯科ではまず技術的な部分をしっかり身に付け患者さんの歯を守ることが大切。という歯医者の本質を教えられました。
そして臨床に真摯に向き合う姿勢とその楽しさを4年間じっくり学びました(写真は須貝歯科を退職し島根へ帰る前日、担当していた患者さん主催の送別会の時のもの)。
須貝歯科を 卒業し、地元島根県松江市に戻ることになりました。
開業が目的です。昔から先輩からは「あま」同級生からは「あまちゃん」後輩からは「あまさん」と呼ばれていました。
そう呼ばれ慣れていることから、「あま歯科クリニック」という医院名にしました。
場所はショッピングセンターベルの中にテナントで入りました。
今振り返っても開業してから7 〜8年いや、10年くらいはすべてにおいて余裕がありませんでした。
治療レベルの高い環境で育ててもらった自信やプライド からか私の指示に従えばいいんだ。
私の話してることが正しいという一方的な気持ちが強くスタッフや患者さんにはとても厳しかった記憶があります。
口論からその場でやめますと吐き捨て去っていったスタッフもいました。
ただ何度かスタッフと衝突をすると自分の主張は必ずしも正しくはないなぁ…と 気づき始めました。
それからというもの周りの意見も尊重することにしました。
するとスタッフとの壁も少しずつなくなっていき風通しが良くなっていくのを感じ改めて過去の態度を反省しました。
今は勉強好きで真面目で明るいスタッフがそろっています。
私にはもったいないくらい優秀なスタッフたちです。
2020年5月に現在地へクリニックを移転し診療台も8台になりました。
院内の北側の窓からは出雲空港から飛び立つ飛行機が見えます。
医院のロゴはその飛び立つ飛行機をイメージし入れています。
この飛行機のようにこれからも飛躍していき島根という田舎でも都会に負けない歯科医院づくりをしていきたいと考えています。
これからもどうぞよろしくお願いします。